EUの抱える言語問題

『何でもうまくいっている様な顔をしていて、うまく物事ができるわけがない。』ナイポール (V S Naipaul)

EUはヨーロッパ連合の略称です。ベルギー、デンマーク、フィンランド、フランス、ギリシア、アイルランド、イタリア、ルクセンブルグ、オランダ、ポルトガル、スペイン、イギリス、スウェーデン、ドイツ、オーストリア、マルタ、キプロス、ハンガリー、スロバキア、スロベニア、ポーランド、チェコ、エストニア、ラトビア、リトアニア、以上25カ国のヨーロッパの国からなる、言わば相互協力を目的とした超国家機関です。このように加盟国は25カ国ありますが、公用語は20ヶ国語しかありません。この公用語の数は、加盟国の中に同じ言語を話す国があることによります。この相互協力関係は強い影響力をもち、いくつかの地域には、国家主権を放棄してしまった国さえあります。特にこのうちの12カ国は、共通の通貨であるユーロを導入しています。

EUの公用語は、デンマーク語、英語、フィンランド語、フランス語、ギリシア語、イタリア語、オランダ語、ポルトガル語、スペイン語、スウェーデン語、ドイツ語です。公式文書は以上のすべての言語で出版されることになっていますが、日常的な業務で使用される言語は英語が大半を占め、少し後れてフランス語が占めています。

ここで私が述べるEUとは、次のEUの機関を指しています。すなわち、ヨーロッパ理事会、官僚理事会、ヨーロッパ議会、ヨーロッパ委員会、ヨーロッパ司法裁判所、経済社会委員会、地域委員会、会計監査、ヨーロッパ中央銀行のことです。

380人の通訳

公用語が20言語存在することにより、会議一回に380人の通訳が必要となります。EUで働くスウェーデン語の通訳担当者は、スウェーデンの大手新聞社のインタヴューで、次のように語っています。「ヨーロッパ議会の会議の通訳は大変難しく、通訳には実に最低20年の実務経験が必要とされます。また極度のストレスと緊張のため、一回の通訳は30分が限界です。そのため3人が交代で通訳に当たることになります。」

能力の高い通訳の数が足りないので、「少数派言語」では、英語やフランス語やドイツ語ほど質の高い通訳を提供することができません。例えばギリシア語からデンマーク語に通訳する場合、途中に英語をはさんで通訳するのはよくあることです。しかしこの場合、訳された内容の誤差が大きくなる危険性が高くなります。

いつでも通訳が見つかるとは限らない

国際理解はコミュニケーションを前提に進められます。同じ言葉を話せば、もっと簡単に国際理解が進みます。英語を母語とする人々は、通常、自分の言葉で国際交渉の場に臨めるというメリットがあります。ということは、精神的に有利な立場で交渉を進めることができ、交渉を成功させやすいということです。一方、英語が母語でない人たちは、自分が不利な立場におかれていると感じており、実際その通りなのです。みなさんは、自国の政治家が十分使いこなせない言葉で(誰もその事実を認めたがりませんが)、これからも外交に望み続けることについてどう思いますか。EUの政治家でさえ、いつでも通訳が見つかるとは限らないのです。スウェーデン人のあるヨーロッパ議会議員は、「英語で話をすると、思うように言葉が使いこなせないせいで、本来自分が言いたかったことではなく、自分の英語で表現できることしか言えなくなってしまう。」と語っています。

EUの職員の大部分が、通常の業務を母語以外の言語でこなしています。しかし、それは誤った解釈や理解につながります。

4億5500万人がEUに住んでいる

EUには公用語の20言語以外を母語とする人が、少なくとも5千万人はいます。さらにEUの国々には35言語を超える少数派言語が存在します。

http://www.eurolang.net/browse.htm参照

ユーロ用語

イギリスのヨーロッパ大臣ピーター・ヘイン(Peter Hain)は、EUで使われている英語のことを「ユーロ用語」(Eurobabbel)と呼び、この動きに歯止めをかけようとしています。

政治家たちは、いつになったらEUや国連、その他の国際機関が、複数の言語を使って業務をこなすのが無理だということに気づくのでしょうか。それは読者のみなさん次第なのです。何か手を施さなくてはいけないのです。今しかないのです。

現在EUでは、書類の原文の71%が英語、29%がフランス語で作成されています。おそらく10年もすれば、全て英語になるでしょう。3年前は、英語が52%、フランス語が48%という割合でした。このように英語を母語とする人は、言葉の面ではるかに有利な立場にあるのです。この言葉の問題を抱えるがために、EUは昔のエリート主義に戻り、自身の掲げる理念を土台から崩してしまうという残念な結果を招くでしょう。

食堂とカフェ

公用語を20言語もつというEUの体制は、どんな会議も同時通訳設備を備えた特別室で開かれる、という取り決めのもとに進められています。ちがう国の人同士が話をするときは、通訳と技術関係者が通訳業務に携わります。どの国の代表も英語を話すというわけにはいかないので、英語が母語の人でも、周りとの接触は当然制限されてしまいます。個人的な交際も、一旦通訳をはさむと、大きくその意図と内容が失われてしまいます。スピーチは通訳の助けを借りてもできますが、プライベートな話をするときには有効ではありません。食堂やカフェなどの非公式な場でも、もっと各国の代表がお互いに話したり、意見交換できたりすべきなのです。

リレー通訳

EUではリレー通訳と呼ばれる方法が珍しくありません。リレー通訳とは、例えば、ポルトガル語からフィンランド語に訳す際に、フィンランド語の通訳がポルトガル語から訳された英語を聞いて、それをフィンランド語に訳すという通訳の方法です。ポルトガル語とギリシア語、デンマーク語とポルトガル語など、いくつかの言語の組み合わせの中には、専門の通訳がほとんどいないのが現状です。そのため、このようなリレー通訳の方法をとるしか手立てがないのです。

このリレー通訳は、当然、フィンランドやデンマークなどの小さな国の代表にとって、不利な条件になります。彼らの伝えたい内容が相手にきちんと届かないという危険性も十分にあり得るわけです。同時通訳では、訳した内容に必ず多少のゆがみが生じることはよく知られています。そしてこのリレー通訳の場合、その歪みは一層大きくなります。

大量の情報の消失

リレー通訳による同時通訳では、通常の同時通訳に比べ、さらに大量の情報が失われることがあります。通常の同時通訳の場合でも、情報の10%が消え、2~3%が誤って伝わるものだと言われています。それほど同時通訳とは難しいものであり、決してミスは避けられないのです。通訳には、両方の言語を完璧に使いこなせるだけではなく、頭の回転の速さも必要です。どちらの言語でも、議論にあがっている専門用語に精通していなければいけません。そしてさらに、世界は日々複雑になっているのです。どんなに良識ある人間でも、この同時通訳体制を弁護することはできないでしょう。国連関係機関で提供される全言語サービスに関する国連調査によると、科学会議に関していえば、もとの情報量の50%の情報が、リレー通訳の課程で消えてしまっているそうです。

会議を何度も注意深く観察していると、会議で使用されている言語を母語とする人々が、そのほかの言語を母語にする人々に比べて、著しく頻繁に発言しているということがわかります。この状況を公平に解決するとしたら、出席者全員が自分の母語を話すことにするか、または全員自分の母語以外の言葉で話すことにするかぐらいしかありません。このどちらの方法も、専門用語に精通した通訳の数が足りないという理由から、実現不可能でしょう。残る一つの解決策は、エスペラント語などの国際言語を実務言語として導入することではないでしょうか。

誤訳はよくある

253ページにわたるマーストリヒト条約(国連条約)の初版原稿は、EUにとって大変重要なものです。EUは、この原稿を図書館や販売元から回収しなくてはいけません。というのも、翻訳された言語によって、原稿の内容にあまりにも大きな違いがあるからです。もう一度、最初からすべて翻訳し直し、再出版する必要があります。

パイロットのいない飛行機

このように、細心の注意を払って翻訳された重要な国連条約にさえ誤訳が存在するのですから、一般の書類の翻訳などはどうなるでしょうか。そして誤訳された書類は、その後どんな結果を招くのでしょうか。EUの英語原稿の中に、”airplanes flying by automatic pilot over nuclear power plant”(原子力発電所の上を自動操縦で飛ぶ飛行機)というフレーズがありますが、これがフランス語の原稿では、”les avions sans ilote qui prennent pour cibles les centrales nucleaires”(おおよその訳:原子力発電所に照準設定されたパイロットのいない飛行機)となるのです。

翻訳には時間がかかる

いつも検討し忘れてしまうことは、翻訳には時間がかかるということです。国連では書類が公用語である6カ国語すべてに訳されるまでに、急ぎの書類で6日、それ以外の書類では24日かかります。より多くの翻訳者を備えたEUの場合、1時間から4週間かかります。


© Hans Malv, 2004